私たちは真の幸福について知ることはできるのでしょうか。

それは、できます。

ですが、我々人間は誰1人として真の幸福を知らないということをまず初めに、知ることが必要かもしれません。

お金と家族と友人、知人、恋人、愛する人。それらは全ての一時的な幸福です。

あなたは、それらをなくした時にでも、心から「幸福だ」と言えるでしょうか。

今まで考えていた幸福が真実のものではないのではないか。そう考えたことがある方へ向けて、私が知ることのできた真の幸福についてお話しさせていただきます。

誰もが真の幸福を知らずに生きてきた。偽の幸福①お金・物・事

根本的に、この世の「モノ」である以上、人を幸せにすることはありません。

この世のものは全て一時的なものだからです。死んだ時に持っていけるのは、その人が身につけた才能や個性だけです。

ゴールデンウィークに大変な思いをして人のいっぱいいるところに行くことが、どのように癒しになるのでしょうか。

それは、見栄であり、プライドが満たされるだけです。プライドを満たしたところで、そんなものは、自分より優った存在を知った瞬間に崩れ去ります。

これもまた一時的なことです。そのようなものを求めても、幸福は得ることはできません。

誰もが真の幸福を知らずに生きてきた。偽の幸福②異性・恋人・彼氏彼女・夫婦

彼氏彼女がいなければいけないのは、なぜなのでしょうか。

夫婦になって一体何をするというのでしょうか。

この世の常識に洗脳されている人間同士が結婚したところで、その結末には「不仲」が待ち受けているだけです。

価値観を合わせて暮らすということを、この世の中では教えられません。人それぞれ違う価値観が常識という世の中で、個を消して生きていける人がどれほどいるのでしょうか。そして、長年連れ添った夫婦だとしても、同時にこの世を去るということは不可能です。

これもまた、一時的な幸福です。私たちは、一時的なものを求めるのではなく、永遠のものを求めることができるのです。

そのものを得ることが、真の幸福に繋がるのです。

誰もが真の幸福を知らずに生きてきた。偽の幸福③人脈・友人・知人・家族

人はどこまでも不確かな存在です。口では約束しますが、すぐにそれを忘れて、知らぬ顔をします。

なぜそんな人間を人間は求め続けるのでしょうか。さみしいからと言って、電話をするのは、非常に下劣な行為ですし、それこそ、ただの気休めにしかなりません。

すぐにまた寂しくなり、一生その繰り返しをして、大切な生を無駄に過ごすのです。コレもまた一時的な幸福です。

人の心は、どこまでも、不確かでコロコロと変化するものなので、そのようなものを求めても苦労の連続なのです。

人の心を求めずに、永遠に変わらない、完全で、究極の愛を求めれば、苦しむことも、嘆くことも、さみしい思いをすることもないのです。

しかし、この世の人は、常識にしばられているため、こんな簡単なことにも気づくことができないように教育、洗脳されてきました。

そうなってしまった原因は、人々が、真に生きることを放棄してきたからです。

政治家が悪い行いを続けるのは、民衆が悪い行いを続けてきたからです。

この世に生まれた人間一人一人が、自分の魂を美しものにすることをせずに、ただひたすらに目の前の快楽や楽しみだけを追い求めてきたから、誰もそのことを教えてもらえなかったのです。

では、真の幸福とはなんなのでしょうか。

それは本当に存在するものなのでしょうか。

確かに存在します。しかし、何よりも、人間が霊魂の存在を信じ、真の幸福があるということを心から信じることができなければ、その真の幸福も実感することはできません。

地球が丸いというのも、あなたが信じているからそうなるのです。

本当の幸福は神を完全に、究極に、全身全霊で「信じきる」こと

この世の真の幸福は、あまりにも小さくて、シンプルで、単純すぎて、誰もが気づきません。

それは「生かされていること」と言われたり「奇跡」や「運命」と言われたりします。

そして、生かされていることをはっきりと明確に話せる人は、1人の方をのぞいてこの世にはいません。奇跡や運命を全身全霊で信じることのできる人は、1人の方をのぞいていません。

なぜなら、私たちは、生まれてからそのことに気づけるように教育されていないからです。

そのことに気づけないように、学校教育・常識・風潮・一般的に、などという言葉に騙され続けてきたからです。

真実を見えないように、隠され続けてきたからです。

シンプルに言えば「神を愛すること」が真の幸せなのです。

たったこれだけです。

今の幸せが幸せだと思って、今を生きる人たちには、よほどの辛い経験がなければ、そのことに気づくことはできないようにできています。

私自身も、ものすごく辛い経験があったからこそ、真の幸福を知ることができたのです。それは、私が見つけたものではありません。全ては、私の関与できないモノにより導かれてきたからです。

そのような経験をすれば、全てに偶然はなく、全てが必然で、その意味に気づくことができない完全に不完全な人間がいることに、気づきます。

どこまでも人間は不完全なので、神様に頼るほかないのです。自分のできることをめいいっぱい勤勉に続け、目に見えない神様と毎日愛を語り、抱えている問題を相談し、様々な願いを話すのです。

偶然はありません。すべては必然で、すでに私たちはこの世の一部として創造され、それぞれに、役割を与えられているのですが、常識に囚われている私たちはそのことに気づくことはできません。

常識とは人間が作ったもので、法則とは神が作ったものです。神とは全知全能で、この世の全てをお造りになった方なのです。

神の法則を知るには、ちょっとしたことでも、悪いことは悪い、良いことは良いと言える正義感のような判断基準がなければこのように、導かれることもなかったでしょう。

不正や悪事を見て見ぬ振りをすることに慣れた現代人は、相当に痛い目にあっていても、そのことが痛い目だとはおもいません。

みんな、初詣に行くから、みんなが、買っているものだから、みんなが、そう言っているから。

このように、基準が「みんな」になっている状態から完全に抜け出さなければ、真の幸福に気づくことはできません。

気づいたところで、それを実践するのも、非常に大変です。片手間でできるようなものではありません。

自分の個人的な利益と、半径数十メートルの幸福だけを考える視野の狭い自己中心的な考えでは続けることはできません。

それくらい、厳しい現実があることを知っただけで、9割の人が諦めてしまうでしょう。

それでも、その厳しさを乗り越えて真に幸福を知りたいと願う者にのみ、神様はチャンスを与えてくださいます。

それで、ようやく0です。マイナスだった状態から0になりました。

世の中は狂っていると気づくことで、スタートラインに立ち、真の幸福へと導かれる

あなたは、今の世の中がおかしいと思いますか。人生の意味がわからない人だらけで、人々はいがみ合い、人を疑うことしか知らず、すぐに、仲間を作って安心する世の中を変えたいと思いますか。

政治がおかしいと感じますか。一部の人間に莫大な富が行くようにできているお金の仕組みが、おかしいと思いますか。

どれも同じような音楽や芸術に、うんざりしていますか。

本来の感動がなんだったか思い出せますか。

子供の頃の無邪気な心が今でもありますか。どんなことにも感動していた心がなぜ今はないのか疑問に思いますか。

それらは、すべて真の幸福を心から知りたいと願わなければ決して得られません。その幸福が、この世の中にあると心から願わなければ決して得られません。誰もが一ミリも疑わずに真の幸福を求めなければ、真の幸福の世の中はやってきません。

真の幸福はあなたが見つけてください。神との愛を深める中であなたが見つけてください。私も必死に求めてすがりついています。

この世に、真に美しい世界が訪れますように。

本当の自由とは。本当の幸福とは。悪魔の作った偽物の宗教に騙されないために幾つか知っておくべきこと。

悪魔が一夜にして滅びることを望むよりも先に、あなた自身がこの世の改革者になることを私は望みます。

RAPTブログ読者の証言〈VOL.11〉カトリックに通いながら人生に絶望する中、RAPTブログで真の幸福を取り戻した30代女性。

RAPT有料記事121(2016年11月19日)勤勉と安息と主の祝祭。そして千年王国における真の幸福感。

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