Flexuous

心霊現象や幽霊は怖いという印象をもっていますか。

ポルターガイストやラップ現象は恐ろしいと思いますか。

しかし霊と言うものは、そういったたぐいのものではありません。

なぜそのようなことを私が言えるのかといえば、それは私が毎日霊感を受けているからです。

しかし、それは決して恐怖を感じるようなものではなく、その殆どが溢れ出る涙と、喜びや感動をした時のようなぞくぞくとした感覚と巨大な安心感ともにやってきます。

心霊現象や幽霊、ポルターガイストなどの目に見えない現象が確かに起こるということは、ほとんどの人が認めることでしょう。

しかし、何故か殆どの人は、そのことを確認することができません。

おかしなことです。

心霊現象などの目に見えないことがたしかにあるのに、実感ができません。

そして、そのことをしっかりと確認できる人を見たときには「頭がおかしな人だ」といって変人扱いまたは、その能力を持つ人が宗教家だった場合はその人を崇め、その人に従い自分のすべてを預ける人もいるかもしれません。

どちらにせよ、自分が当事者になることを避けているようにも感じます。

何故か人間は目に見えない存在を知りながらも、その存在を否定することを常態・常識としているようです。

そのほうが、常識的な人間に見えるから。

そのほうが、仲間はずれにされないから。

そのほうが、安心だから。

常識的な考えが頭の中に入り込んで、自由な思考ができない人ほど、物事を自分の頭で判断することができなくなっています。

その原因がテレビや映画やアニメなどの殆どのメディアによってもたらされているという事実はまたの機会として、ここでは霊について更に具体的に見ていきます。

どうしてもという方は、以下のブログが参考になります。

RAPT | 裏社会メディアのデング熱報道に完全に洗脳された人の思考回路に最後のトドメを刺します。

我々が知っている霊とは何でしょうか。特に日本人にとっては幽霊が一番身近で、その殆どが未練を持った死者であったり、モノや動物が化けたものと考える方が多いのではないでしょうか。

そこには何かしらの「恐れ」があるものがほとんどです。

例えば、金縛りと言うのも一つの霊の業といえます。

何故か体が動かすことができず、いないはずの人の声がすると言うのは少なからず体験した人もいるかもしれませんし、その話を実際に聞いた人は多くいるでしょう。

実際に私は金縛りにあい、足元に立つ黒い人影が私の中に入ってきた体験をしました。

そして、これらのもののほぼ全てに恐怖がつきまとうのは、それらが実際に悪魔との間で「霊的」な対話をしているからなのです。

善い行いと真逆の、罪である悪い行いをすればするほど、その人間の霊の部分が悪魔の霊と交信して実際に「見えないけど感じる」ということが起こり、悪霊と交信するわけです。

ここでもう一度、霊があるという確固たる証拠として電磁波を例にして説いてみます。

電話をすると、目的の電話番号に電波が通じて話ができるように、この世には確かに「見えないけど感じる」ものは存在しています。

同じように、スマホでグーグル検索するときも、ツイッターを開いたときも、インターネットと言う見えない電波というもので通信して、必要な情報を入手することができます。

金縛りでいえば、罪であり悪い行いをした結果、悪霊と同じ波長になり、その情報を得たのです。

自分で知らず知らずのうちに、悪霊と通話をしていたのです。

自分で知らず知らずのうちに、悪霊とチューニングをしていたのです。

Fine Tuning

そのような原理で人間は「見えないけれど感じる」事のできる霊という存在を認識するので「怖い」という話が広まっているのです。

目に見えない悪霊と交信できるということは、反対に善なる良い霊と交信することもできるということになります。

そして、この世の殆どの人が善なる良い霊と交信できないのは、その波長と同じ波長にチューニングを合わせていないからです。

インターネットもラジオも電話も、目的のアドレスや周波数や電話番号にチューニングをするから相手と通じるわけですね。

そして、悪霊と通じたということは、知らず知らずのうちにそのチャンネルに合わせていたということなのです。

ではいつのまに悪い行いをしたのか?

そもそも「悪い行い」とは何なのか。

仏教や学校の道徳は役に立ちません。ましてや法律の基本的人権の尊重やLGBTなど全くもって無意味です。

全ては聖書に書かれている善と悪が基準になるからです。

聖書で言われている悪には次のようなものがありますが、これらには封印がされているので、真にこれらの悪を理解するには聖書の通読が必須です。

不品行、汚れ、好色、偶像礼拝(仏像・ぬいぐるみ)、まじない、敵意、争い、そねみ、ねたみ、怒り、分裂、泥酔、享楽、虚栄心、嫉妬、恨み、つらみ、自己中心、怠惰、情欲、恋心、高慢、名誉欲、物欲

反対に聖書で言われている善には以下のものがありますが、これらも悪と同様、真の意味を知るには、封印を解く必要があるため、以下に並ぶ字面を見ても、本当に悟ることはないようにできています。

愛、喜び、平和、寛容、慈悲、忠実、柔和、自制、上品、清潔、協力、許し、神中心

そして、もしあなたが金縛りやそのような「恐怖」の経験をしたことがあるのであれば、必ず悪の行いをして、知らず知らずのうちに悪霊と交信していたことが原因でしょう。それは本人しかわからないことです。

もし、そのような体験は二度としたくないと感じるのであれば、聖書に書かれている善い行いをすればそのような出来事は起こらなくなるということでもあります。

しかし、人は今まで当たり前にやってきた習慣を変えるのは非常に難しいものです。東大を合格するより、ノーベル賞を受賞するより難しいでしょう。

しかし、私は一人でもそのような恐怖から救われてほしいと願っています。これまでのような苦しい人生を脱却して幸福に包まれた人生を贈りたいと心から願ったときには、ぜひ以下のブログを覗いてみてください。

ここには神に祝福された善の言葉へと導かれる言葉の数々が書かれています。

RAPT | Blog by RAPT

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